泣かない方がいい。
すねたりしない方がいい。
なぜなら、サンタが街にやってくるから。
だからいい子でいよう。
かの有名なクリスマスの歌はこう歌う───
幼い頃の私は、毎年サンタさんが来てくれるクリスマスを楽しみにしていた。
ただ純粋に待ち望んでいた昔、その正体を知っている今。
きっと、私は少しだけ大人になったのだと思う。
寒空の下、はぁっと手に息を吹きかけ暖をとる。
暖をとる、と言っても全く暖かくならず、手は冷たくかじかんだままだ。もこもこのジャンパーにネックウォーマーを着込み、完璧だと思い、家を出たはずなのに肝心の手袋をすっかり忘れていた。
鼻がむずむずしてくしゅんっ!とくしゃみをする。冷たい空気が肺に入ってきて、中から冷えてきそうだ。
早く帰ろう、と顔をあげるとキラッと何かが目の前で光った。それは一度ではなく、いくつもちらちらと目の前で舞っている。
「雪だぁ…!」
空から舞い降りてきた雪に心がワクワクし始めた。この辺りではあまり雪は降らないので、雪が降るとそれだけで嬉しくなってしまう。
そして何より、今日はクリスマス・イヴ。子どもたちが楽しみに待つ冬のイベントの一つである。そんな日に、幻想的な雪を見られたことでさらにいいことが起こりそうな気がした。
ふと、頭に2人の兄の顔が浮かんだ。帰ったら2人にも教えてあげるんだ、雪が降ってるよ!って。
急いで私は家への帰路を急いだ。
『サンタが街にやってくる』
音楽の授業の時間で歌ったばかりのその歌をハミングする。英語の歌詞とともに日本語訳のついたプリントを、今日先生にもらった。
その日本語訳を読んだ私は、いい子でいなくちゃ!と意気込んだのだった。
そうして足を弾ませて家へ帰ってきた。食卓の上には美味しいご飯、暖かい部屋。いつも通りの「当たり前に存在しているもの」がそこにはあった。
──2人がいないことを、覗いては。
もしかしたら、揃って出かけてしまったのかもしれない。この家ではそんなことが日常茶飯事になっていたし、状況的に仕方のないことだと理解していた小さな私はただ2人の帰りを待っていた。
さすがにお腹が空いてきたので、用意されていた料理を食べようと立ち上がる。先程は気づかなかったが、食卓のテーブルの上に手書きのメモが置いてあった。
「すぐ帰るから、先に食べていてください」
大きめな字で、わかりやすく書かれたメモ書き。視覚から伝わるその文字は書き手の人柄を表すように角がなく、なんとなく優しさがにじみ出ている。
いただきます、と一人で呟いて料理を食べ始めた。帰ってきた時に温かかった料理はすっかり冷めてしまっている。けれども、私はただ目の前の料理を少しずつ口に運んでいた。
──1人で食事するって、こんなに寂しかったっけ…
スプーンが皿にぶつかる金属音だけが虚しくリビングに響く。そのあまりの静かさに思わず食事に伸ばす手を止めた。
ご飯は2人が帰ってきてからでもいいや、と食事を止め、近くのソファに座ってテレビをつける。夕方のニュース番組で今日習ったあの歌が流れている。毎年この時期になると必ず1度は耳にする曲だ。
でもきっと明日になれば、この曲を聞くこともぱったりとなくなるのだろう。私は小さくため息をついて、つけたばかりのテレビの電源を切った。
暇を持て余した私は、ソファで寝転がった。目の前に広がる天井は広く、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
──このまま2人が帰ってこなかったら?
2人を待っている間、ずっと心の隅に潜んでいた不安が顔を出す。
──泣かない方がいい。
だって今日はクリスマス・イヴ。こんな日くらい笑って過ごしたい。
──すねたりしない方がいい。
私が今、家に一人でいるのは誰のせいでもない。一緒に暮らす兄たち──大人たちは忙しいのだから。寂しいからずっと一緒にいてほしいなんてわがままはとても言えない。
──だから、いい子でいよう。
そう、いい子のところにしかサンタさんはやってきてくれないのだ。誰もが知っている曲でそうやって歌っているのだもの、きっとそうなんだろう。
──……本当に、いい子でいなければいけない??
心の奥から誰かが声をかける。もちろん、だってサンタさんに来てほしいもん!といつもの私なら笑ってそう答えているだろう。
だけど、その時ばかりは素直に頷くことができなかった。
──サンタさんなんか、来なくたっていい。
──来なくてもいいから──
「はやく帰ってきて……」
自然に言葉が口から出ていた。
サンタさんよりも2人がいい。
2人がいてくれれば私はそれでいいのだ。
そう思っていた時、泣きじゃくる私の肩を誰かが掴んだ。目を開けると私が待っていた、2人の姿があった。
不安が一気に晴れた衝動で涙はさらに止まらなくなってしまった。目の前の会いたかった人達に抱きついた。
夢はそこで終わった。重たい瞼をゆっくり開くと、あの時に見た真っ白で広い天井が広がっていた。
今見た夢は、8年前のクリスマスに本当に起こったことだ。この家で2人の帰りを不安な思いで待っていた私の記憶の一部だった。すっかり忘れていたけれど、そんなこともあったなと私は小さく息を吐いた。
あの日、帰ってきて早々2人に泣きついた私は事の経緯を2人に話した。雪が降っていたことを真っ先に伝えたくて帰ってきたのに、2人がいなくて寂しかったこと。心細くなって泣いてしまったこと。全然いい子でいられなかった、だからきっとサンタさんも来てくれない、と思っていたことも。
泣いて上手く話ができなくなっている私をよし兄が抱きしめてくれた。弥生兄は「馬鹿だなぁ」と言いながら頭を撫でてくれた。
──そんなのは嘘だ
──そうやって一人で泣いているやつほど、サンタは見捨てたりなんかしない──
ふと思い出して少しだけ笑う。でも、弥生兄の言っていたことは本当にその通りだった。過去の私の心配は稀有に終わり、サンタさんはクリスマスには欠かさずプレゼントを持ってきてくれていた。
後々、その正体が弥生兄とよし兄だとわかった時は少しだけがっかりしたけれど、それでも毎年私の知らないところでサンタ業に勤しんでいた2人を思うと少しだけ微笑ましかった。
そんな思い出に浸っていた時、遠くの方で玄関の開く音がした。聴き慣れた家族の話し声が聞こえてくる。
涙の跡を袖で拭い、何もなかったかのように装う。
そしてリビングの扉が開いたら、いつものようにこう告げるのだ。
『おかえりなさい』